
雨宮沙月
2026年4月15日
今「アルジャーノンに花束を」を読んでいる。
少しずつ知能が上がっていく主人公の報告レポート、という作品の性質上しょうがないんだけど、序盤、言葉として読み解くのがスムーズにいかなくて、読み手にじわじわストレスを与える構造になっている。
サポートが必要な人に手を差し伸べたい気持ちと、向き合った時に生じるであろう精神的な負荷を疑似体験できる。
お母さんにフリック入力教えるときみたいな。自分の器の小ささと向き合っている感覚、かわいがれる範囲を超えたらイライラするなんて我ながら自分勝手だなと思う。
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バイト先の同僚の髪の毛がずいぶん伸びていた。綺麗ですねと言ったら、ヘアドネーションのために伸ばしているとのこと。
充分な長さにはなっているけど、切った後ボブくらいに髪の毛を残したく、そのための長さには足りないらしい。
40センチ寄付できる髪型って、そう考えるとすごい長さだな。
ヘアドネーションの話から飛んで献血の話になり、さらにその流れで運転免許証の裏の臓器提供ってマルしてますか?と聞いてみた。
それは私が個人的にずっと気になっていることだった。
その人は「毎回悩むけど、家族のことを考えてしていない。」とのこと。私もおんなじだった。
自分が完全に動けなくなっているなら提供したいと思うけど、少しでも意識が戻る可能性があるなら残したい。その状況は自分ではわからないんだろうけど。そのための意思表示なんだろうけど。
その辺も含めて詳細に書くのが正しいカードの使い方なんだろうか。
その人の知り合いの医療関係者の方が言うには、臓器提供を望むということは、人の死を望むこととつながっているのでとても複雑な気持ちになるとのこと。
確実に誰かの死があって命を救う行為が成立するんだと言われてみて初めて気がついた。
こう言う構造の出来事ってたくさんあるんだろうけど、ここまで顕著なものもないだろうな、
怪我をする人がいるからそれを治すための仕事や商品が儲かる。みたいな。
そう考えるとご飯屋さんは人がお腹を空くことを待っていることになる。
私のしている仕事はそう言うのはないな。でも、辛い時にそばに置いていたことで癒やされたと言ってくれた方が何人かいたから、人が寂しくなることを待っていることになるのかも。
かわいいものを可愛がりたい気持ちになる時っていうのはだいたいこころが少し寒い時な気がする。
電気屋でシルバニアの赤ちゃんを気づいたらじっとみていたときなんかもそう、
